[Enjoy KOREA]
6.25朝鮮戦争、
民族戦争の痛みを踏んで統一を希望する歴史の現場
巨済捕虜収容所は1950年6月25日朝鮮戦争による捕虜を受け入れるために古縣地区を中心に設置されました。 1951年6月末まで最大17万 3千人の捕虜を受け入れ、その中には300人余りの女捕虜もいたといいます。
当時巨済島捕虜収容所の捕虜は規定された統制と規律の中でもジュネーブ協定に基づいて自律的な内務生活がかなり許されていたといいます。
しかし反共捕虜と共産党捕虜間に流血殺傷がしばしば発生し、1952年5月7日には収容所司令官が捕虜に拉致されるなど冷戦時代理念葛藤の縮小現場と同じ姿でした。
今は残存建物の一部だけあちこちに残っている当時の捕虜の生活像、テント、写真、衣服など生き生きした資料と記録物を基に巨済捕虜収容所遺跡公園として生まれ変わり、戦争歴史の生きた教育長および世界的な観光名所として作られることになりました。
激しかった朝鮮戦争の過程と戦争捕虜の人生がそっくり溶けている場所、巨済捕虜収容所で新しい希望の歴史を感じてみて下さい!
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